#72 〜いじめに自覚症状はあるのか~

いじめ

再びいじめについて
パーソナリティ障害について
考えてみました

以前にも書きましたが
どの様な場面や環境でも
いじめは自己愛性パーソナリティ障害や
反社会性パーソナリティ障害を持つ者によって
発生しているのではと考えています

特に自分が中心でありたいと思う気持ちや
称賛を浴びたいと言う気持ちを妨げる者
とくに皆から愛され人気のある者を
ターゲットにした執拗ないじめの構図は
いじめ事案の中では特に多いのではないかと思います

そして自己愛性パーソナリティ障害や
反社会性パーソナリティ障害を持つ人は
自覚症状があるのか無いのかを
考えてみました

反社会性パーソナリティ障害の人は
人を傷つけても罪悪感もなし共感性もなし
普通の人の持つ常識もありません

だから恐ろしいことに自分はいたって困ることもなく
幸せに生きていくことができるといえます

けれどもこの症状が強く出ている人は
周りの人からは危ない人というレッテルが貼られ
避けれるものなら周りの者がそうすれば良いし
被害を受けたときも明らかでわかりやすく
咎めることも場合によっては罪に問うことも可能です

ですからおそらく人を傷つけるとどうなるかといったことも
その先の自分はどうなるかといった事も理解できない
自覚症状もないままに行動しているような気がします

ではそれとは反対に
自己愛性パーソナリティ障害の場合です

とにかく優秀な頭脳を持つ人が多く
中には社会的な地位もしっかり掴んでいる人もいるのです

会話能力は特に大変な才能を持ち
どちらかと言えば優等生に見える場合が多いのも特徴です
その場にあった会話その人に合わせた会話もそつなくこなします

けれども自分自身が中心でとにかく称賛を得たいがために
結局は自分の話しに酔ってしまうほどの自慢話になってしまったり

自分のおとしめたい人の話に切り替えては
一時間でも二時間でも執拗に悪口を言い続けるという
聞く者にとっては異常な状態になってしまうのです 

けれども最終的にはその異常さも覆すくらいの
相手にとって気の利いた話術を駆使して
ターゲットの悪口を相手の頭にしっかりインプットさせ
結局はおかしいと思いながらも
相手を取り込んでしまう会話が成立します

日常の行いはというと姑の場合
やらないで触らないでと言っても全く聞きません
例えば捨てないでと言ってもわからないように
ゴミ箱の下の方にみえないように隠してまで捨てるのです

とにかく自分のすることは間違っていないし
他人に違うと意見されても認めません
捨てたことを咎めても上手に言い逃れ
結局は自分に非はないとし謝らないのです

止めてほしいといく度となく言っても
やめることはなく全く自分は悪くなく
止めてほしいと言った者が悪者になってしまうのです

周りにいる者 
特にターゲットになった者はいつも 
逆恨みに似た格好になり
まともなことを伝えているはずなのに
いつのまにか悪者に仕立て上げられているという
おかしくなりそうな状況におとしめられてしまうのです

自分の敵対視する者をおとしめること
とくに自分が窮地に立たされた時の瞬時に発する言い逃れの嘘は
本当に恐るべき能力ですし
自覚症状がなければ不可能とも思えます

正直に生きてきた者にとっては
自己愛性パーソナリティ障害の人の側にいる事だけでも
いつも何か心に苦痛がつきまとい
自己肯定感を削り取られてしまいます

この自己愛性パーソナリティ障害という病気を理解しない限り
毎日が苦痛の連続で
いつまでも苦しさから逃れることはできないのです

これだけのターゲットをおとしめる能力は
やはり意識的に自覚がないと出来ないことと思われます

かと言って人をおとしめる自分が悪いことをしているという
自覚症状はあまり無いのではと思われます

反社会性パーソナリティ障害と
自己愛性パーソナリティ障害の共通点は
人を傷つけても悪いことだと言う自覚症状がない
と言うことかもしれません

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